2011/07/10

金子周次と東日本大震災

木版画家、金子周次の個展を見た。
彼の作品は、現代美術作家の山倉研志のアトリエで以前見せてもらっていた。
ふたりとも歳こそ孫と祖父ほどの差があるが、同じ千葉県の出身で、
山倉氏の父親も同じく画家だったこともあり、巡り巡って彼のところへ
金子周次の作品のいくつかが辿り着いたのである。

木版のエッジのシャープさや渋い色遣いそして、緻密な書き込み、
そして書き込み過ぎず等。ぐっと来た。

こんな作家が没後35年も経った今も、未だ人知れずなのが残念である。
また知られていないのがいいと思う人もいるだろう。

ただただ、山倉氏は熱い情熱の持ち主で、東京での回顧展を開催
するまでに至ったのである。


金子周次と作品の背景を知りたくて、仲間3人で5月のはじめに銚子を訪れた。
生前の彼を知る人間はすでに数少なく、切れた糸をさがしてまた紡ぐように
色んな場所を訪れたが、決定的な事柄は分からず、
多分これから何度も通うことになるだろう。想像は膨らむばかり。
そのときの模様をロードな写真にした。
http://bccks.jp/search/?KW=triangle#B39202,P0

会場の作品はおおかた売れていた。
欲しかった作品が売れていて悔しがる方もいたそうな。
きっと本物が解る人々の話はただ聞いていても楽しいのだろう。

画廊をあとにして、山倉氏と一杯やりに小さなバーで話しているうち、
唐突に無人島に行くのに1枚だけCDを持っていっていいと言われたら何を持って行く?
無人島に電気はないと思うが、個人的な趣味を聞きたいんだろうと解釈。

事もあろうに俺はピンクフロイドの「原子心母」かなあと答えた。
絶句が待っていたが気にせずもう一杯呑んだ。

金子周次の作品を山倉研志に見せてもらったのは、
今年の3月10日だった。何かの縁を感じるのでる。

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